かもさんのシビック村放浪記

2001/02/14 シビックインターと西垣内選手

Yahoo!掲示板のチャレンジカップトピックから端を発した、西垣内選手をインターに引きとめようとした話の顛末....
注意:あくまでも私が見聞きした噂などからまとめたもので、西垣内選手やチーム側にどのような経緯があったのかは不明ですので、話半分にどうぞ。

事の発端

Yahoo!掲示板に「シビックチャレンジカップ」というトピックがある(2000/10/11誕生)のだが、そこで出てきた話(2000/11/20)に「西垣内選手、2001年はアルテッサ参戦なのでは?」というのがあった。
実際、FNのようなカテゴリーのシート争いとシビックのようなカテゴリーのシート事情とは大きく違う。メディアに報じられることもなく真相は闇の中であった。
が、複数の筋から「西垣内選手、アルテッサ」という情報が流れてくる。

そんな中、2000/12/10のシビック表彰式で本人に聞くと(もちろん曖昧な答えしか出せないのだろうが)「う~ん、そうかもねぇ」だった。
ただ「(シビックに出ないのも)寂しいよね」と言っていたから、私は「やっぱり西垣内選手本人もシビックは楽しいのだろうな....」と思っていた。

ビッグ3の西垣内選手

さて、ビッグ3と呼ばれる3人の選手、黒木選手、渡辺選手、そして西垣内選手....彼らの1996~2000年の5年間の記録を調べてみたことがある。
5年間で32戦、ビッグ3が勝ったレースは 93%以上にもなる。ビッグ3以外のドライバーでインターシビックに勝てたのは、この5年間でわずかに 3名しか居ない。
そして、ビッグ3が誰も居ない表彰台はこの5年間でわずかに1回だけ。
シビックインターの歴史はまさにこのビッグ3が作ったといっても過言ではなく、チャンピョンはこの3人が独占している。

その一角を担う西垣内選手。実は黒木選手、渡辺選手と比較すると勝ち数は少ないが、それは単なる結果。その走りはとにかくすごい。素人目に見てもすごい。

いくつか印象深いシーン(レース)を思い浮かべると....

ざっと思い浮かぶだけでもこれだけ出てきた。もっと以前から西垣内選手をご存知の方であれば、もっともっと出てくるだろう。

「記録よりも記憶に残る走り」使い古された言葉ではあるが、西垣内選手はそんな走りを私たちに見せてくれている。その存在は、黒木選手、渡辺選手と並んで「ビッグ3」といわれるだけのことはあるし、その存在がシビックインターをより面白いものにしているのは疑いようの無い事実。
そして、西垣内選手を含んだ彼らビッグ3の存在はシビックレース全体をより高度なものにしているのだと思う。

その西垣内選手がインターから居なくなる....それは、シビックレースを楽しみに見ているファンならば、多くの人に衝撃を与えたはずだ。

署名活動を始める

署名の話に戻す。年が明ける。が、シビックのシート情報はほとんどわからない。 多くのインター常連はそのまま継続であるという情報は出てくるが、西垣内選手に限っては「流動的」という感じのようだ....
2001年1月中旬「オートサロンでその話をしたが....」という話題が挙がる。西垣内選手の参戦計画はまさしく検討中だというその情報。「嘆願書書くのがいいのでは?」という言葉を受け、機は熟した。と勝手に判断(笑)、私たちはそれを行動に移すことにした。

署名を作成し、Webで公開した。協力のお願いは、シビックレースに理解があるであろういくつかのWebサイトの掲示板が頼りだった。募集を始めたのが、2001/1/20未明。締め切りは 1/31必着とした。
日数は少ない。元々知名度の高くないシビックレース。どれだけの署名を集めることができるのかはまったくわからなかったし、実際不安でもあった。

おまかせHPの掲示板にも書き込んだ。ここのページはとにかく鈴鹿クラブマンを中心として、いわゆるマイナーカテゴリーのレース、そしてドライバーも大事にしているサイトだ。「きっとここを訪れる人なら何人かは協力してもらえるのではないか....」と思い、図々しくもお願いをする。
結果、おまかせ掲示板の常連さんから住所確認のメールが飛んできて、そして数日後に送られてきた署名は、10数名にもおよんだ。
「さすが、おまかせ掲示板....」と感動。そして深く感謝。

ぼちぼちと集まってくる署名。その数は 40数名分。
普通「原発うんちゃらをほんちゃらな署名」と言えば、数万人以上の署名が集まることをニュースで目にする。
そんな数からすればないような数字。しかし、わざわざ手間暇かけて(実際、用紙を印刷して、住所問い合わせて、送付というかなりの手間を協力者の方々に負担させてしまった)賛同してくれた一つ一つの署名は、きっと少なからずチーム側に伝わるのではないか? そう思うことにした。

署名を送る直前、とある事情通の方から内緒の話が飛んできた。
「西垣内選手、インター継続のようですよ」
少し気持ちに余裕が出つつも 2001/2/1の深夜、署名と嘆願書を5ZIGENに送付した。

やるだけのことはできたかな....

5ZIGENというチーム

5ZIGENといえば、FNを始めとして多くのフォーミュラ、そしてハコ。多くのカテゴリーにその車両を出している。レースを見に行って 5ZIGENカラーのマシンを見ないことは無いくらいだ。メインでなくても多くの車両に「5ZIGEN」のステッカーが貼られている。
国内レースにこれだけ積極的に参加している企業はかなり少ない。

そして、木下社長は根っからのレース好きなようで、雑誌のインタビューや伝え聞く話でそれが伝わってくる。
私が思い浮かぶ木下社長と言えば、2000年のFN開幕戦でクルムが優勝を逃したとき....「マフラー買ってくれてる皆さんのためにどうやって泣こうか考えとったのになぁ」と言っていた。喉から手が出るほど欲しかったはずの国内トップフォーミュラでの勝利。冗談を言えるような状況ではなかったはずなのに、ユーモアを交え、そしてお客さんのことも忘れていない。なかなかできることではなさそうなのだが、それをやってのけた。

Yahoo!掲示板でも「木下社長なら、ファンの気持ちもわかってくれる」という言葉があった。その言葉に後押しされたというのもかなりあった。
5ZIGEN、そして木下社長なら(結果はどうあれ)わかってくれるんじゃないか? と。

参戦確定のニュース

2001/02/07にYahoo!掲示板に「N選手の今季インター参戦はほぼ決定」との情報が流れてきた。そして木下社長が「署名が来たんや」とおっしゃっていたということも。
うれしかった。
西垣内選手の参戦もそうだが、わずかながらの署名のことをそうやって会話に出してくれた。ちゃんと読んでもらったことがわかったし「そこまで言われりゃ出ないわけにいかんやろ」と言ってもらえたことが、うれしかった。

そして更に驚くことが起こった。
FNのページにはやみみパピーという裏情報(?)をまとめているページがあるのだが、2001/02/09に「5ZIGENからの緊急速報」という話題が出てきたのだった。(@@)
チームからのリリースを読むと「西垣内の5ZIGENシビックは今年もサーキットを暴れまわる」との記述。

西垣内選手のインター継続がこれで確定。

内容はモータースポーツファンを大事にしてくれている5ZIGENがにじみ出ているものだった。
私たちがやった嘆願書と署名は送った本人の予想をはるかに上回るインパクトを5ZIGENに与えたようだった。

いろんなことが上手く転がって、このような結果になったとは思う。
余計なことは考えずに行動できたのが逆に良かったのかもしれない。

実際「署名が来たから、決めた」のではないかもしれない。が、そんなことはこの際私にとって重要ではなかった。
5ZIGENというチームの、そして木下社長の素晴らしい心意気を知ることができた。そして、それが多くの人の目に触れることになった。
それだけでも、署名と嘆願書を送ったことは価値があることだったと自負したい。

この場で改めて感謝したい。
きっかけを与えてくれた Yahoo!掲示板の WRITING_RACERさんに。
署名を書いてくれた全ての方に。手間暇かけてそれを送ってくれた皆さんに。
FNネタではないのに掲載してくれたはやみみパピーに。
西垣内選手の継続参戦を決定してくれたチーム5ZIGENに。
そして何より、素晴らしい対応をしていただいた、木下社長に。

本当にありがとうございました。_o_

後日談-- 2001/03/01(木) 追記

私たちは、若干遅れて手元に届いた数通の署名と共に、5ZIGENにお礼状を送らせていただいた。2/14の朝に速達でそれを送付した。

その数日後、このページの掲示板になんと西垣内選手と木下社長からの書き込みがあったのだった。西垣内選手ファンを始めとして掲示板を訪れる人(もちろん私も(^^;)は、言葉を失うほどの感激をした。そして、R'On 340号にもこの嘆願書騒動(?)の話がちょこっと載っている....
忙しい中、そこまでのことをしてもらい、この素晴らしいレーシングチームをこれからも応援しつづけたいな。という気持ちが更に強くなった。


[Civic Race World Top]