21年のシビックワンメイクが終わった。
私自身がシビックワンメイクを見始めたのは、そんな歴史の中ではつい最近、1998年だ。当時はシリーズの分割も良くわかってないし、ドライバーと車両の一致もしてないし、ポイント制度だってしらないし、もちろんドライバーさんとお話をさせてもらう機会もまったくなかった。
単純に2,3台が並んでコーナーに突っ込んでくるのを見ているのが楽しく、時に見られる無茶なバトルも、ドライバーのミスも....正直に言えばアクシデントも、フォーミュラとは違って楽しむものとして見てきた。
そこにはわかり易い追い抜きがいつもあった。誰が誰を抜いたのなんかわからない。でも「赤いのが青いのを抜いた」と言うのだけで私にとっては価値があった。
1999年に入り、そうやって見ていると自然にドライバーと車両が一致してくる。シリーズの仕組みも頭に入ってくる。すると今目の前で起こっているバトルの背景に潜むストーリーが見えてくる。シビックワンメイクが尚更面白く見えてきた。
同じ年齢の「若手」ドライバーを探して彼に着目しながらレースを見たりした。たまたま選んだのが幸内選手だったのも良かったのかもしれない。マシンを振りまわして走る幸内選手は魅力的だった。
その隣には今瀬選手がいた。今瀬選手もマシンを振り回しながら走っていた。彼らのドライビングはFFには見えなかった。見並選手と磯田選手、それに岡崎選手、八木選手、大橋選手....常に上位を走る彼らのスタイルの違いが少しずつ見え隠れしてくる。
でも、勝つのはいつも黒木選手か渡辺選手か西垣内選手であった。なんなんだこの人たち。よくわからないがとにかく強い。ビッグ3という存在の大きさが見えてくる。
地方シリーズを見ていると、いかにもプライベータな白いマシンが走っている。彼らは正直言ってミスも多い。でも、魅力的な走りをするドライバーも少なくなかった。
インターにはインターの、地方シリーズには地方シリーズの見方があるんだと思ってきた。
もっとシビックワンメイクが面白くなってきた。
雑誌でシビックワンメイクの記事を探すがほとんど出てこない。唯一出てくるのは白黒ページのトップ10までの順位だけ。ちょっと良ければ10行程度のレポートがあるが、そんなことでレースはわからない。つまらない。放送があるFNよりも放送がないシビックワンメイクのほうがサーキットで見るときのウェイトがでかくなってきた。
2000年になるとレースのリザルトはExcelの表にまとめるようになってきた。次のレースを分析し、チャンピョンシップとチャレンジカップのシート争いが気になりだした。
あまりにも少ない情報源。世の中にシビックを扱っているページは多いが市販車ばかり。世の中にレースを扱っているサイトは多いがF1ばかり。一定以上の情報を入手することは難しかった。
2000年菅生インターを見た帰りに車の中で「シビックのページを作ろう」という話が私といでっちの間で盛り上がる。そのままの勢いで2000/08/13にページを公開し始める。
はっきり言ってどれだけのニーズがあるのかどうかは不安だった。検索で引っかかるいくつかのシビックレーサー関連ページの掲示板などに書き込みをしてみた。
シビックインター富士で黒木選手、渡辺選手、西垣内選手のビッグ3をはじめとして、何人かのトップランカーの方にドライバー紹介のアンケートをお願いさせてもらった。
ドライバーの方の反応は良くわかってないのかもしれないが、悪くなかった。アンケートを書いてもらうだけじゃなくてちょっと話をさせてもらったりした。断られることもなく、うれしかった。
最初の数ヶ月はページのヒット数は30/1日くらいだったが、インターを中心に何人かのドライバーにアンケートをお願いしたりしながら、いくつかのモータースポーツ総合サイトにリンクをお願いしたりしながらページの充実を図った。
デジカメ新調した。(爆)
掲示板は最初の頃は私の知り合いばかりが書き込んでいた。(笑)
だが、そのうち今では常連化した方々から「こんなサイトを待ってた」という書き込みがあり、徐々に知らない人が書き込みをしてくれた。
おまかせHPにむろおかさんを見つけたのは2000年9月だった。拉致した。(^^;
シビックを「知っている」むろおかさんの書き込みは私が書くただの感想とは違って深く、そして面白いものだった。
徐々にサイトのヒット数は増え、この年のシーズン終了前後には5,60/1日程度に膨らんでいた。
2001年を迎えた時、Yahoo!掲示板に端を発する西垣内署名活動を始めた。20人分も集まればOK。やっても効果はないかもしれないと思っていた。反応もあまり期待していなかった。結果的にはやった本人の想像をはるかに越えるリアクションを得た。
....が、結局2001年の西垣内選手は思ったほどの活躍が出来ず、途中で参戦を止めてしまった....つらかった。
2001年シーズン開始になるとこのページのヒット数は100/1日くらいに成長していた。インター常連さんの多くからアンケートをもらい、各シリーズのトップランカーからももらった。アンケートに行くと「知ってる」と言うドライバーが徐々に出始める。
それはうれしいと同時にプレッシャーにもなった。(笑)
2001/05/27 トップページのカウンタが 10000を越える。公開開始から9ヶ月強。
ページの存続について一時期悩んだことがあった。
最初は単に「へたくそー」と笑って見ていられた、ミスが原因のアクシデントも、ドライバーさんの事情を知ってしまうと単純に楽しめはしなくなってしまった。わざとでないにせよ、絡んでしまったときも「あーあー」とは思うが「後でもめないといいけど」と余計なことまで思うようになってしまった。
どこまで書いていいのか、どこまでやればいいのか....しかし、迷いは捨てることにした。あくまでも観客の立場を貫いて、観客の目から見たシビックワンメイクを書いていこう。と。
多少の失礼はドライバーさんや他の関係者にしてしまうかもしれないが、シビックワンメイクを日本一楽しんでいると自分自身に誇りを持って好き勝手書くことにした。
シビック村に行くことは多くなったが、それでも他のレースもできる限り見るようにし続けた。私にとってのシビックワンメイクは「他のレースと比べても面白い」ものであることをいつも確認していたかった。そして、それが揺らぐことはなかった。
深く知りすぎてしまったシビック村の中も、レース中は結構忘れていることに気が付いた。それだけの面白さが目の前で起こるレースにはあった。
2001年の夏頃にはシビック村で会う多くのドライバーさんが私を認識してくれていて、話がしやすい。話し掛けると予選の話やこのページのことや、いろいろ話をしてくれる。
多くのドライバーさんと話をしていると、そのドライバーさんの性格が見え隠れしてくる。それがレースに少しだけ現れていたりして、それがまた私自身がレースを楽しむ要素となっていった。
タイヤのこと、足回りのこと、ドライバーだけではなくレースを多角的に分析して楽しむことを覚えてきた。それと同時に単純な楽しみ方は出来なくなってきたが、それでもなおシビックワンメイクは私の目には魅力的な存在でありつづけた。
シビックが終わり、インテグラになることが噂で流れ始めた。
正直、私は新しいファンなのでさほどのショックはなかった。今のドライバーさんがインテグラに流れるならレースがつまらなくなるはずがない。という確信があった。しかし、事情はやはり複雑。金銭が絡むだけに継続してインテグラに移行するドライバーがそんなにたくさんになるのかどうかはわからなかった....
徐々にインテグラの情報が流れ始め、シビックのレースが徐々に消化されていく。
2001/08/29 トップページのカウンタが 20000を越える。10000から3ヶ月。
2001/11/03 トップページのカウンタが 30000を越える。20000から2ヶ月とちょっと。
そして2001/11/18、インターと東日本が終了し、21年のシビックワンメイクと私にとっての 3年、そしてこのページの 1,5年が終わった。
シビック村放浪記を書き始めてから観戦したシビックワンメイク、17レース。700戦とも言われるシビックワンメイクの中では数%でしかないその数ではあるが、その一つ一つにシビックらしいドラマがあり、そのレースレポートを書くことは私にとっては苦痛なものではなかった。(仕事が忙しいときは別だが....苦笑)
インターはすべて見た。東北も東日本も鈴鹿も西日本も1戦以上は見た。そこには各シリーズの雰囲気とバトルがあった。同日開催の時はほんとに体を分割したいような気持ちになった。
インターは....いや、シビックワンメイクは、かもしれない....結局最後まで黒木選手だった。私が見始める前から「ミスターシビック」と呼ばれた黒木選手はすべての選手にとって最後まで壁でありつづけた。
八木選手、幸内選手の若手が2001年、勝てる体制で挑んできたが....壁は最後まで厚かった。
インター最終戦、そのトップの争いはこう着していて2年前の私が見たら「つまらん」と言っていたと思う。しかし、そのトップの争いはシビックが行き着くところまで行ってしまった証明であったのではないかと思っている。まあ、その後ろは相変わらず「シビック」だったが....(^^;
ワンメイクに限らずレースは数年単位でテコ入れをしないと煮詰まってしまうものだと思っている。そういう意味で変化が訪れる2001年から2002年、いい機会なのではないだろうか。もちろんエントラントが減ったりするのだが....
インター表彰式でおまかせアナウンサーと話をしたとき「最初の1年はつらいと思うけど、2年目からは絶対に盛り上がる」と笑顔でインテグラを楽しみにしているおまかせさんを見て、少し安心した。
21年の長い歴史に幕を閉じるシビックワンメイクレース。ホンダ関係者さん、そしてそれに参戦された多くのドライバーと関係者の皆さん。本当にお疲れ様でした。
このページと共に過ごしたシビックワンメイク最後の 21分の1.5年。
この1.5年には多くの出会いがあり、そのすべてが私にとって大切なものだ。
その一つ一つをここに書くわけにはいかないが、本当に「このページを作ってよかった」と思っている。
毎日のようにこのページを見てくれている方、サーキットで会う皆さん、いろいろ教えてくれるドライバーさん、スタッフの皆さん。本当にありがとうございました。(^^)
2001年シーズン終了前後のヒット数 約150/1日....